文学作品に登場する「作中作」:その種類と作品への効果
文学作品における「作中作」とは何か
文学作品を読んでいると、登場人物が書いた小説、劇中劇として演じられる芝居、物語の中で語られる伝説や詩など、作品の中に別の「作品」が現れることがあります。このような手法を「作中作(さくちゅうさく)」と呼びます。作中作は、単に物語に彩りを添えるだけでなく、作品全体の構造、テーマ、そして読者の読書体験に深く関わる重要な要素となり得ます。
本稿では、文学作品に登場する作中作の種類や基本的な仕組み、そしてそれが作品にどのような効果をもたらすのかについて解説します。文学作品の複雑な構造や多層性を理解する上で、作中作という視点は非常に有効です。
作中作の基本的な定義と仕組み
作中作とは
「作中作」とは、文字通り、一つの作品(これを「枠物語」や「外枠の物語」と呼ぶことがあります)の中に、別の独立した作品が組み込まれている構造を指します。この「内包される作品」が作中作です。作中作は、小説、戯曲、詩、絵画、音楽、日記、手紙、記録など、様々な形式を取り得ます。重要なのは、それが外枠の物語の中で創作され、読まれたり、演じられたり、鑑賞されたりする「作品」として機能している点です。
入れ子構造とメタフィクションとの関連
作中作は、「入れ子構造(いれここうぞう)」の一種と捉えることができます。入れ子構造とは、物語の中に別の物語が内包されている構造全体のことで、有名な例としては『千夜一夜物語』のように、シェヘラザードが毎夜語る物語が、より大きな枠物語の中に連なっている形式があります。作中作は、この入れ子構造の中でも特に、内包されるものが「作品」という形式を取る場合に用いられる用語です。
また、作中作はしばしば「メタフィクション」の手法と関連します。「メタフィクション」とは、フィクション作品が自分自身がフィクションであることを意識し、その創作過程や性質、物語の語り方などについて言及する手法です。例えば、作中人物が書いた小説が、読者が読んでいるまさにその物語と奇妙なほど似ていたり、作中作の創作過程が物語の進行に影響を与えたりする場合、それはメタフィクション的な効果を生み出していると言えます。作中作は、物語が現実に干渉したり、物語の虚構性が前景化したりするきっかけとなり、作品世界と読者の現実との境界を揺るがすことがあります。
作中作の多様な形式
作中作は多岐にわたる形式で現れます。
- 劇中劇: 戯曲の中に別の芝居が演じられる形式。シェイクスピアの『ハムレット』の「ゴンザーゴー殺し」などが代表例です。
- 作中小説/作中詩: 物語の登場人物が小説や詩を創作したり、それを読んだりする形式。夏目漱石の『吾輩は猫である』における苦沙弥先生の創作などが挙げられます。
- 作中物語/作中伝説: 物語の登場人物が過去の出来事や伝説を語る形式。これは広義には入れ子物語と重なりますが、語られるものが独立した一つの「物語」としての性格が強い場合に作中物語と呼びます。
- 作中書簡/作中日記: 物語の進行に影響を与える、あるいは登場人物の心情を描写するために引用される手紙や日記。これらも作品の一部として機能する点で広義の作中作と言えます。
- 作中絵画/作中音楽など: 文学作品の中で、具体的な絵画や音楽が登場し、物語に深く関わる場合。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の肖像画などが例として挙げられます。
具体的な作品例とその分析
作中作がどのように作品内で機能しているか、いくつかの作品を例に見てみましょう。
シェイクスピア『ハムレット』の劇中劇
『ハムレット』において、主人公ハムレットは父を殺した叔父クローディアスを告発するため、「ゴンザーゴー殺し」という劇を宮廷で上演させます。この劇は、父の死の状況と酷似しており、クローディアスがそれを見て動揺するかどうかで彼の罪を確かめようとする仕掛けです。
この劇中劇は単なる劇ではありません。 1. 現実の再現と検証: 劇が現実の出来事(父の死)を再現し、登場人物(クローディアス)の反応を引き出すための道具として機能します。劇中の出来事が現実(作中の現実)に影響を与えています。 2. 虚構と現実の境界の曖昧化: 劇が現実を映し出す鏡となり、舞台上の劇と現実の宮廷の出来事が二重写しになります。観客である私たちは、登場人物が見ている「劇」を見ながら、彼らの「現実」のドラマを同時に目撃することになります。 3. メタ的な効果: 物語の中で「劇を演じる」という行為そのものが前景化し、演劇という形式について読者や観客に意識を向けさせます。
『ハムレット』の劇中劇は、作中作が単なる装飾ではなく、プロットを推進し、作品のテーマ(真実の探求、行為と不行為、虚構と現実など)を深める強力な装置として機能する典型的な例と言えます。
夏目漱石『吾輩は猫である』に登場する苦沙弥先生の創作
夏目漱石の『吾輩は猫である』では、主人公である猫の視点から、その飼い主である英語教師・苦沙弥先生とその周囲の人々の日常がユーモラスに描かれます。苦沙弥先生はしばしば自身の創作活動(俳句、狂歌、あるいは小説の構想)について語ったり、実際に作品の断片を作中で示したりします。
苦沙弥先生の創作物は、以下のような効果を持っています。 1. 人物描写: 苦沙弥先生の気まぐれで非実用的な性格、当時の知識人層の気質を描写する上で重要な要素です。彼の創作に対する態度や、それを巡る周囲とのやり取りから、人物像が立体的に浮かび上がります。 2. 作者自身の投影と皮肉: 苦沙弥先生の文学論や創作への態度は、作者である夏目漱石自身の当時の文学観や、文壇に対する皮肉が込められていると解釈されることがあります。作中作を通じて、作者自身が作品内に顔を出す、ある種のメタ的な仕掛けとも言えます。 3. 時代背景の反映: 苦沙弥先生が創作しようとする作品のテーマや形式は、当時の日本の文学状況や知的関心を反映しており、作品の時代背景を理解する手がかりとなります。
ここでは、作中作が主に人物描写と作者の思想や時代の反映という形で機能しており、『ハムレット』のような直接的なプロットへの影響とは異なる、より間接的な効果を生み出しています。
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』
ファンタジー作品である『はてしない物語』は、作中作の機能について考える上で非常に示唆に富む作品です。この物語は、現実世界に生きる少年バスチアンが、古書店で見つけた一冊の本『はてしない物語』を読み始めるところから始まります。彼が読む物語は、まさに読者である私たちが読んでいる本の中に描かれています。そして物語が進むにつれて、バスチアンは自分が読んでいる物語の世界(ファンタージエン)に入り込み、その世界の運命に深く関わることになります。
この作品における作中作(バスチアンが読んでいる本)は、 1. 物語世界の創造: 読者が読んでいる物語そのものが、作中人物にとっては「読むべき本」として提示されています。 2. 現実と虚構の相互浸透: 作中作の世界(ファンタージエン)が、作中の現実世界の少年(バスチアン)に影響を与え、ついには彼を取り込みます。そして、少年がファンタージエンで為すことが、物語の展開そのものとなります。現実と虚構、読むことと生きることが渾然一体となります。 3. 「物語を読むこと」の力と危険性: 物語を読むこと(想像力)が世界を創造し、力を与える一方で、現実を忘れさせ、自己を見失わせる危険性も描かれています。作中作の存在は、「物語とは何か」「読むこととは何か」という根源的な問いを読者に投げかけます。
『はてしない物語』は、作中作が物語の根幹をなし、現実と虚構、読む者と読まれるものの関係性を極限まで問い直す、メタフィクション的な作中作の傑出した例と言えます。
考察と応用:作中作を読み解く視点
作中作は、単なる物語の中の余興ではありません。それは作品の深層構造やテーマを理解するための重要な手がかりを提供します。読者が作中作に着目し、分析する際のポイントをいくつか挙げます。
- 作中作の内容と形式: 作中作はどのような内容か? どのような形式(小説、劇、詩など)で提示されているか? その内容は、外枠の物語のテーマやプロットとどのように関連しているか?
- 作中作の機能: その作中作は物語の中でどのような役割を果たしているか? (例:プロットの推進、人物描写、テーマの強調、読者の意識化、皮肉や風刺など)
- 作中作の作者と読者: 作中作は誰が創作し、誰がそれを読んだり、演じたり、鑑賞したりしているか? その創作や享受の状況は、外枠の物語や登場人物にどのような影響を与えているか?
- 現実と虚構の関係: 作中作は、物語世界の現実とどのように関係しているか? 現実を模倣しているのか、それとも現実から遊離しているのか? 作中作の存在が、物語世界の現実性をどのように変化させているか?
- メタフィクション的な効果: 作中作が、作品全体がフィクションであることを読者に意識させるような効果を持っているか? 作中作の創作や読書が、読者自身の読書体験に重ね合わされるような仕掛けがあるか?
これらの視点から作中作を分析することで、作品の構造がより明確になり、作者が込めた意図や、作品が読者に与える効果についての理解が深まります。レポートや発表で作品の構造に言及する際には、作中作の役割を分析することが有効な切り口となり得ます。
まとめ
文学作品における作中作は、物語の中に別の作品を内包させることで、作品に多層的な構造を与え、多様な効果を生み出す強力な手法です。それはプロットを動かす仕掛けとなったり、登場人物や時代背景を描写する手助けとなったり、あるいは物語の虚構性そのものを問い直すメタフィクション的な装置となったりします。
作中作に着目することは、作品の構造、テーマ、そして現実と虚構の関係性といった深いレベルでの理解につながります。これから様々な文学作品を読む際に、「この物語の中には、どんな作品が登場しているだろう?」「その作品は、物語全体の中でどんな役割を果たしているのだろう?」という視点を持ってみてください。きっと、これまでとは異なる新しい発見があるはずです。物語の中に隠されたもう一つの物語、作中作の世界を探求することは、文学の面白さをさらに深く味わうための扉を開くことでしょう。